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 BGMは文中校歌

ひ と り ご と

   中学校の思い出

中学校時代は昭和33年の4月から同36年3月までだ。

1.越境入学
  今も子供じみているから書くのがつらいけれど、当時はまだまだ子供子供していた。
  私の意思とは関係なく越境手続きがとられていて、
  気がついたら文の里中学1年13組だった。
  2年生は16組あったが1年生は14組だった。
  昭和20年、敗戦の年生まれの学年だから減少も止むを得ない。
  ちなみに次の学年は21組、その次は26組と団塊の世代が続く。

  JR阪和線美章園駅近くの文の里中学はマンモス校として有名だった。
  近鉄南大阪線の藤井寺あたりや、当時の国鉄阪和線の和泉砂川、堺など
  主に大阪南部からの越境者が多かった。
  もちろん近隣の校区からもたくさん入学しているのだが、
  自分が田舎者で、子供っぽいと感じたことを覚えている。

2.クラス分け
  入学時に実力テストがあった。
  14クラスで約750名だったかな?恒例で100番以内が貼り出された。
  こんな経験なかったので不安だったけれどどうにか名前は載っていた。
  渡辺先生は喜んでくれたが、内心は大したことないな思っておられたかも。
  わざわざ勉強などしたことがなく遊びたい一心の中学時代の始まりである。

3.読書感想文
  夏休みの宿題だったと思う。
  何を読んでいいかもわからず手持ちの本で間に合わせた。
  思い出すのも恥ずかしいのだが、選んだ本は少年少女向けの「伴団右衛門」だった。
  直接非難されたのでも笑われたのでもないが、何故か思い出すたびに恥ずかしい。

4.おませだった友人
  中学3年のとき同クラスだった友人にS君がいる。
  出会ったときから私よりはずっとおませな子のような気がしていた。
  文庫本で歴史小説などをずいぶん読んでいたらしく、
  「本によって同じ人物がいい人間だったり悪い人間だったりする」などと聞いて驚いたものだ。
  彼はその後高校も同じだったが、京都大学工学部卒業後なぜか毎日新聞に就職した。
  その後しばらくして同窓会で会ったら公認会計士になっていた。
  自分の道を見つけるのは遅くなったようだが、ちゃんと見つけているのはさすがだ。

5.水泳部の思い出
  ひとりごとの「水泳」の項目で書いたような気がする。
  練習をさぼっていて顧問の先生に叱られた。
  500メートルを泳げといわれたが、
  止まらずに500メートルも泳いだことがなかった。
  罰とあれば仕方がない。どうにか泳げた。自信がついた。
  以後1500メートルを何度も泳いだものだ。
  長距離を泳ぐと、足と手と息継ぎが一つのリズムになってくる。
  水の中で汗をかいているのがわかった。
  ブロック内での水泳大会が天王寺中学であった。
  天中のプールは屋内にあり水が冷たかった。
  短距離は体格的に無理だったので400メートル自由形に出た。
  勝つことよりも泳ぎきることが大事とばかりばてないように泳いだ。
  ダントツのビリだったが応援の拍手が聞こえた。
  うれしかったのか恥ずかしかったのか!
  対外試合はこれだけである。
  冬になると練習にマラソンが入ってきた。
  一度だけ参加して水泳部をやめた。中途半端なクラブ生活であった。

6.鉄道模型の思い出
  ひとりごとの「鉄道模型」の項目で書いたような気がする。

7.水彩画
  ある時母がビニールチューブの絵の具を買ってくれた。
  当時みんなが持っているのとは違うメーカーの絵の具だった。
  それがうれしかったのか一所懸命絵を描いたことが一度だけある。
  森の中を想定して木を何本か描いただけだが、何故か何度か重ね塗りした。
  教室に貼り出された。後にも先にも絵で貼り出されたのはこの1回だけだ。
  画才のない私の唯一のうれしい思い出だ。

8.エッチング
  例によって何を下書きしようか迷っていた。
  隣りに座っていたK君は屋根と電信柱の風景を鉄筆で彫っていた。
  斜めの構図が線画に向いているなと感心した。
  結局何も思い浮かばず、阪和線の電車を真横から見た図面のようなものを彫った。
  台車が小さすぎてバランスが悪かった。
  どちらのエッチングも貼り出されなかった。

9.あこがれの人(?)
  中1では誰にも惹かれなかった。
  中2では旧家のお嬢さんのようなE.Aさんが気になった。
  中3では大変おとなしいN.Sさんが気になった。
  声をかけたわけでもない淡い思い出である。
  どうも他のクラスまで越境してかわいい女の子を追い求めるタイプではなさそうだ。

  ところで、ロスの友人と書いてきたK.Kさんは中学3年時代の友人で、
  私の前に座っていた。
  当時も小さかった私に比べ、大柄でメガネをかけていたりして、
  こわくて(?)あこがれの人には入っていなかった。ごめんなさい。
  その後同窓会で再会したら、私より小柄になっていて(?)、
  垢抜けて美人になっていた。勉強家になっていたのも不思議な気がした!
  職場に訪ねてきてくれた時は妻と間違えられたこともあった!
  その彼女の横に座っていたK.Kさんが僕のお気に入りだと
  同窓会などで勝手に茶化されたが、
  彼女は子猫のように内気で恥ずかしがり屋に見えた。
  私の前に座っていたのは二人ともK.Kさんだった!

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