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町内広報誌の原稿集
(一番上が最新です)

退任のご挨拶

 いよいよ年度末です。
このところ四月下旬の暖かさが続いたと思うと真冬に戻ったりで、
まさに春先の三寒四温が続いています。
町会員の皆様におかれましてはお風邪など召されませんようお見舞い申し上げます。

 さて、この度どうにか無事に二期四年の任期を終え
退任させていただくこととなりました。
この間、従来の行事を踏襲しただけで何一つ新しいことが出来ませんでしたが
何かと至らぬ点も多かったと思います。
役員様、班長様、町会員様のご協力なしには、
この大役を全う出来たとはとても思えません。
改めて皆々様に心より御礼を申し上げます。

 会長職は荷が重いと敬遠されがちですが、
四年ぐらいで替わっていくのが理想です。
押しの弱い私は、後任探しが下手で
役員の皆さん方にはご心配をおかけしました。
結局、懐が深く、男気のある前町会長北田秀人様に甘えてしまうこととなりました。
再度の町会長職をお願いすることとなりました北田様には、
引継ぎに際していろいろご負担、ご迷惑をおかけするかと思いますが
何卒よろしくお願い申し上げます。
 なお、お引き受けいただくに際しては厳しい宿題を頂戴いたしました。
町会各行事は担当副会長と担当部長が責任を持って
主体的に遂行できるような分掌図を作りなさいとのこと。
もちろん組織図だけではなくマニュアルや意識改革も必要です。
私は相談役として引き続き町会に残らせて頂きますが、
経験を生かして実践的な相談役、指導役にならねばと考えております。

 今後のもうひとつの課題は役員の増員です。
役員改選の都度若返りを図ってきましたが、
当然毎年毎年役員の年齢的老化は進行していきます。
ともすれば安易に地元出身者ばかりを役員に選んでしまっています。
杉本町に新しくお住まいの皆様方にも
是非とも町会運営に参画して頂かねばなりません。
自薦他薦を問いませんので名乗りを上げて頂きたいと切望しております。

 最後になりましたが、不束な私を長く盛り立ててくださいました役員様、
班長様、町会員の皆様方に重ねて厚く御礼を申し上げます。
四年間本当に有難うございました。


謹賀新年

 元日より暖かい日が続いています。
町会員の皆様におかれましては
お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
新しい年が皆様にとりまして健康で幸せな一年でありますよう
心よりお祈り申し上げます。
旧年中の町会活動への温かいご理解ご協力に対し
厚く御礼申し上げますとともに、
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、早いもので町会長をお受けして四回目の正月を迎えました。
町会長職としての四年間を思い出してみます。
 退職後すぐに町会に誘われました。
増田町会長に二年、北田町会長に四年、庶務担当として仕えました。
北田町会長からは引継書も頂きましたので、
町会の行事はどうにかこなせました。
まず町会長が率先するしかないわけですが、
会議一つとっても資料作りから会場設営まで数時間前から準備が始まります。
苦手の一つである先回りが常に要求されます。
 私にとっての重荷は区役所などからの周知事項をこなすことでした。
月一回のペースで連合町会が開催され、
いくつかの仕事をもらって帰るわけです。
区や連合の行事への動員要請が一番苦手で、
私が動いて済むのならと自ら動いてしまうことが多かったようです。
動き過ぎで後進が育っていないなどと批判されます。
とは言うものの一人では何も出来ないわけで、
役員方にはお世話に成りっ放しです。
 小中学校の入学式、卒業式、運動会などへは、
三年目から杉本地区の来賓として参列しています。
それまではそんな自覚がなかったわけで今頃反省しています。
 住吉大社の行事には一度も参加できませんでした。
 町には町会長という代表者がいると便利です。
警察官や消防署員、区役所職員、工事業者、
もちろん町会員さんが連絡・相談に来られます。
逆に役所等に町として相談に行く場合はこの肩書きが大変役に立ちます。
笑い話ですが、職務質問等ではまったく肩書きは役に立ちません。
とにかく世話役に徹したわけですが、
宵っ張りの私にとりましては朝早い訪問にはつい顔が引きつったものです。
 趣味や遊び事との日程調整には苦労しましたが、
基本的には町会の優先順位を上に置いてどうにか対応しました。
他の役員さんの応援を得たことはもちろんですが、
家族、とりわけ家内には相当我慢をしてもらいました。
大きな借りができているわけです。
 何より辛いのは町内広報誌の原稿書きでした。
反省点は長い原稿を書き続けたことです。
毎回二日間苦しんで書きましたが、
巻頭に私的な長い駄文は似合いません。
一般の方の投稿スペースを広く確保すべきでした。
郷土の歴史や短歌、俳句、その他趣味などについて
もっと投稿してもらうべきでした。
 古い町杉本町の町会は、良くも悪くも未だ古いままです。
ボランティア団体とあれば思い通りに行かないものです。
@町内広報誌の年間発行回数を減らすべきではないか
A募金集めの方法はこれでよいのか
B杉寿会に入っていないご老人がもっと楽しく集まれる方法はないのか
C町会役員の職務分掌をはっきりさせるべきではないか
などいくつもの懸案事項を抱えたままですが、
どうにか二期の務めを終えます。
昨年秋に古希を迎えたばかりですので、
今後も側面から事務方として協力するのが私の責務と考えています。
一肌脱いでくれる勇気ある後継者がきっと現れることを期待しています。
 また長くなってしまいましたが今回を例外とします。
寒さはこれからが本番です。
町会員皆様方におかれましては、健康にご留意いただき、
明るい春を迎えられますよう心よりお祈り申し上げます。



平成27年11月(2015.11)

おはよう隊
十一月八日の日曜日、小六の仲間五人で奈良は菖蒲池の恩師宅に押しかけました。
還暦を機に復活させた昭和三十三年卒依羅小学校六年四組の第六回同窓会でした。
恩師は八十三歳、生徒は七十歳。奥様のご負担を考えない一見無謀な企画でした。

昔話に花が咲いたあと、記念写真を撮ったり、
ギター伴奏で校歌を歌ったりの楽しい三時間余りでした。
今も歌い継がれている校歌は私の在学当時制定されたもので、
竣工まもなかった北西の鉄筋校舎は私たちの学年が使ったままです。
先生と並んでカメラに収まるとどちらが先生?と揶揄されたりします。
卒業後五十七年ともなると恩師と変わらぬ風貌になるものですね。

風貌といえば、自分が四十代までは高校球児やプロ野球選手が
時には「おっさん」に見えたものです。
ところがどうでしょう、最近では教頭先生が息子に見えてしまいます。
そんな息子と見まがう程お若い教頭先生が時々我が家を訪れてくれます。
数日前には「おはよう隊の皆様へのお礼の会」のお知らせを届けてくれました。

今回は「おはよう隊」のことをご紹介します。
といっても児童の保護者の方はよくご存知でしょうが。

児童の登下校の安全を守るために、天候にかかわらず通学路に立って
声掛けをしてくれている「おはよう隊」。
声が出にくかった子供たちもやがて「おはようございます!」と
大きな声で元気に挨拶ができるようになって行くとのことです。

「おはよう隊」は校区全域のの老人クラブや民生児童委員、
青少年育成推進会議子供を守る隊、
PTA登下校指導担当などのボランティアの方々です。
杉本町では杉寿会の方が月曜、PTAの担当者が水曜、民生児童委員が木曜、
子供を守る隊の方が月曜、金曜を受け持ってくれているようです。
人数の都合で登下校を完全には見守れてはいないかもしれませんが、
長く無事故が続いているのはありがたいことです。

学校では年に一度「おはよう隊の皆様へのお礼の会」を開いて、
子供たちが感謝の気持ちを伝えることなどで情操教育にも役立てています。
今年のお礼の会は十一月三十日午前八時三十分からとのことです。

話は変わりますが、このところ賽銭箱荒らしは週一ペースの激しさです。
また、今日十一日の午後には空っぽになった黄色い財布が
我が家の前の道路脇に捨てられていました。
盗んだのかどうかは定かではありませんが、
お金やカードを抜き取ったことは間違いありません。
さっそく我孫子交番に届けましたが、町内は決して安全とは申せません。
被害に遭わないよう十分ご留意いただきますよう。
ところで、私は交番の前でおもむろに自転車の錠をかけました。
交番前での盗難など有り得ないのに失礼なことをしたものです。

最後になりましたが、十月には班長様のお骨折りで
町会員皆様から多額の赤い羽根募金をいただきました。
心より御礼申し上げます。
町会各部会の晩秋から年末にかけての行事は女性部の日帰り旅行、
子供会のもちつき大会、会館大掃除、年末夜警と続きます。
寒さも厳しくなりますが、皆様ご自愛ください。


平成27年9月(2015.9)
雨台風
 「台風」と言えば「強風がなにより恐ろしい」というのが
私の中学時代からのトラウマです。北向きの雨戸のないガラス窓が
強風で内側にたわみ、大人達は畳をあてがっていました。
小柄な中学生だった私も風に向かって押し返しました。
ガラスが割れたらどうなるのだろうかと必死に押し返した記憶は
今でも目に焼きついています。それまでの私は台風が来ると、
お向かいの熟した柿の実が落ちてくるので食べられるといった程度の理解でした。
経験しないと怖さが理解できないのは今も続いています。

 ところで台風18号は弱い雨台風でした。
にもかかわらず鬼怒川氾濫の惨状は目を覆うばかり。
水に濡れれば乾かせば済むというものではありません。
テレビでは使えなくなった家具の山の校庭が映し出されていました。
もちろん天気予報では雨に注意との警告は出されていました。

 杉本町は1級河川大和川流域右岸に位置するものの、
氾濫などありえないと思い込んできた私ですが、今回考えを改めました。
今まで何度か橋桁下数十センチを流れる濁流を何度か見ました。
もし台風18号が進路をぐっと西に取っていれば決壊もありえたと思われます。
水害に対する認識を新たにした一週間でした。

 そんな台風18号が去ったあと、ようやくさわやかな秋晴れが続いています。
思えば7月中旬以降12号から18号まで7つの台風が発生しました。
子供会の夜店大会や町会の盆踊り大会は
どうにか天候に恵まれて予定通り開催できました。
ありがたいことでした。

 9月13日の敬老大会では我が町の長老S様のお姿が見られない寂しさを感じました。
例年、敬老会開催に対するお礼の言葉を述べられていたからです。
今年の敬老会でお礼のご挨拶をされたのは依羅連合老人会会長のH様でした。
戦後70年にからめて、70年周期説について話されましたのでご紹介しておきます。

 歴史上の偉業は発明されてからほぼ70年を経て大変革を遂げるというものでした。
その例として、グーテンベルクによる活版印刷の発明があります。
新約聖書を大量に印刷できたことで、聖職者の言うことが
聖書と異なっていることに大衆が気付き、約70年後に宗教改革が起こったといいます。
続いてワットの新方式蒸気機関の開発。
70年かけて産業革命が進展したというのです。 
書物からの引用でしょうが興味が湧きました。
 戦後70年について自分なりに考えればコンピュータの進化が挙げられます。
商用計算機が実用化されたのが昭和25年です。
以後大型コンピュータからパーソナルコンピュータ、人工知能、スマホと進化が続いています。
 もっとも、H様が本当に言いたかったのは、戦争を経験したS様が日頃から体験者自らの言葉で
「戦争は絶対に起こしてはならない」と訴えられていたということかもしれません。
 最後になりましたが、秋には杉寿会の一泊旅行、子供会の秋祭り、
女性部の日帰り旅行などが企画されています。
多くの方が参加されることを期待しています。
町会では班長様を通じて赤い羽根共同募金のお願いをすることとなります。
昨年同様のご理解とご協力をお願い申し上げます。


平成27年07月(2015.07)
手術その後
 杉本だよりの巻頭を飾る記事が
町会長の私的記事であってよいはずはありませんが、
ご心配をおかけした手前、
「生まれて初めての鎖骨接合手術も無事終わって
班長会にも笑顔で出られました」とご報告せずにはいられません。
二泊三日の三時間程度の手術でしたが、
全身麻酔されて、目が覚めたら手術は終わっていて
恥ずかしくも尿カテーテルまで付けられていました。
今月九日には手術後二ヶ月の検診があり、順調とのことで安心いたしました。
今や何の不自由もありませんが、
ゴルフだけは半年間自粛するようにと言われています。

 五月末には日赤社資募金が班長様より届けられました。
町会員皆様方のご理解ご協力と、班長様のお骨折りのおかげと深く感謝申し上げるばかりです。
 六月のはじめには法人四社様にご協力をいただき募金の総額が確定しました。
両替のために一週間以上私の口座に眠るという業務上横領の状態が続きましたが、
十五日に日赤口座に入金していただきました。
 ある班からは日赤社資募金の集め方に関する疑問のお声をいただきました。
この件に関しましての対応は町会庶務欄に記載の通りです。

 六月末までに国勢調査員の推薦名簿を提出して欲しいとの文書が届きました。
今年は五年に一度の国勢調査の年です。
調査基準日の十月までにまだまだ日があると油断をしていました。
役員会の了解を得て大慌てで町会役員中心の調査員推薦名簿を区役所に提出いたしました。
国勢調査員という一時的公務員に任命され、報酬が支払われますが、
個人情報に関わることですのでうかつな人選は出来ません。
住吉区役所では別途統計調査員を募集していますので
興味のある方は区役所へお問い合わせください。

 七月三日には、盆踊り開催に関して住吉警察署へ開催届け、
大阪市建設局へ公園占用申請を行いました。

 七月六日には市大院生の依頼で、
ローソン近くの掲示板のペンキ塗り替えに立ち会いました。
授業の一環らしく、テーマは
「掲示板の活用から、地域の活性化につなげよう!」というものでした。
まずは「掲示板をきれいにしよう」と
町内三ヶ所の掲示板を塗り直していただけるようです。
我々の気付かないところへの着目ということで見守って行きたいと思っています。
もちろん差し入れもしますし、原材料費はお支払いします。

 ベージュ色にきれいに塗りなおし、右上部には造花まで飾り付けてくれました。
写真に収めたその二日後には造花がなくなっていて驚きました。
公園や道路には吸殻やゴミがすぐに溢れる我が町のこと、
「またか!」の思いでしたが、
考えるところがあって院生が持ち帰ったと知らされホッとしました。

 七月九日、浅香地区の町会長山本幹夫様の訃報が届きました。
私よりも七歳も若い方の急逝に驚きました。
十日、十一日の通夜、葬儀では大勢の弔問客がお見送りをしました。
心よりお悔やみ申し上げますとともにご冥福をお祈りいたします。
 連合町会長、地域活動協議会会長を務められていましたので
今後の組織運営にとって大きな打撃です。

 十一日、結城会より盆踊りのポスターが届きました。
まだ梅雨明けは見えてきませんが、盆踊りはすぐそこです。

 十三日、朝から市大院生が会館前の掲示板の
塗り替えに着手してくれました。

 行事のない六月、七月でしたが、結局動き回ってしまっています。
会長は動き過ぎだとまた叱られそうですが性分というものでしょうか。
梅雨明けとともに猛暑の夏がやってきます。
町会員皆様におかれましてはご自愛されますよう。


平成27年05月(2015.05)

総会後のいろいろ
 十八日の総会ではすべての議案をご承認いただき、

無事新年度をスタートさせることができました。
旧班長様には一年間大変ご苦労をおかけしました。
新班長様には早速の町会費集めを行っていただき有難うございました。
本当に町会業務は班長様のお力なしでは前に進みません。
新旧班長様及びご協力いただきました町会員の皆様に
心より厚く御礼を申し上げます。


 
二十五日の連合町会で日赤社資募金の募集資料一式を預かりました。
例年のことですが連休明けには班長様を通じて
募金のお願いの回覧を回さなければなりません。
十年前なら、手書きで募金台帳を作成するため
役員総出で苦労したのだとかきいていましたが、
幸か不幸か、パソコン処理をするようになって
ワイワイガヤガヤの時間がなくなりました。
担当役員と町会費徴収台帳を頼りに昨年の社資募金台帳を更新し、
回覧の準備が完了したのが五月一日、
連休明けには回覧してもらえることになりました。

 ところが連休中に想定外の私的事故が発生、
人生初の大ドタキャン騒ぎとなりました。
和歌山のある芝生広場で孫たちとキャッチボールをしていて、
かっこよく逆シングルでスライディングキャッチをしたつもりが、
ものの見事にずっこけたのです。
なんともいえない不様な転倒でした。
芝生に左胸を打ちつけながら、その痛みが尋常ではないと気付きました。
もちろん後でわかったのですが、左鎖骨を骨折してしまったのです。
大阪に戻るまでの苦労と、戻ってからのごたごたは
書くのも恥ずかしいので割愛します。

 家内から日頃「生き急ぎ」と言われているほどの予定を
すべてキャンセルしました。
住民投票の立会い人業務、ギターを持っての施設への慰問、
マンドリン合奏団での指揮者業、ギター教室の延期まではともかく、
ゴルフコンペのドタキャン二件、一泊マージャン旅行の延期、
出欠思案中の中学同窓会も入っていて、
大勢の方に大変ご迷惑をおかけしました。

 左利きの私ですが、幸い鉛筆とお箸は右手で持ちます。
今は右手一本でパソコンに向かってこの原稿を打っています。
天使の羽のような白いギプスをはめて、
生まれて初めての手術を恐る恐る待っている日々です。
手術をすれば天使の羽はつけなくてよいとか。
毎夜家内の介助を得てようやく入浴できているという状態です。
唯一ドタキャンできない作業が原稿書きかもしれません。

 ところが、すべての予定がきれいに消えてしまうと、
淋しい反面、こんな生活も良いものだなんて思えてきます。
半年もすれば元気に動き回れるという希望もあります。
「人間万事塞翁が馬」という私の好きな故事が現実になりそうです。

 突然の不様な骨折話を教訓にすりかえるつもりはありませんが、
想定外のこと、予期せぬことは起こるものですね。
私の左鎖骨は完全に折れてしまっているのですが、
医師曰く、「六十九歳でもこれくらいなら
九割は手術をしなくてもくっつきます」と。
敢えて外科手術を選びました。
次の班長会に笑顔で出席できることを確信しつつ。

 ここまで書いて、ふと古い日記を紐解く気になりました。
どうやら六十歳になる頃に日記を書き始めたようで、
非公式に町会の庶務担当を頼まれた秋と重なっていました。
六十歳となった半年後の春に町会役員デビューをして早九年が経ちました。
庶務担当が六年、町会長が三年、いよいよ最後の年です。
既にスタートでつまずきましたが、最後の一年間、
どうぞよろしく「介助」をお願い申し上げます。





平成27年03月(2015.03)
きらめく言葉
 去る三月六日、住吉区民センター小ホールである講演会がありました。
私は参加要請を受けていた関係で半ば義務的に参加しました。
今日は講演会の内容というよりは私の感想を通じて
人前で話すということについて書いてみたと思います。

 「孤立死ゼロに向けて」というのがテーマでした。
「孤立死ゼロ」は三年前から住吉区が掲げている孤立死対策の運営方針です。
専門家から地域団体の役員まで数名の弁者の話を聞きました。

 非常に流暢に話されるがあまり伝わって来ない場合は眠気に襲われるものです。
単語毎の語尾を「アー」とか「エー」とか「オー」とかで伸ばす話し方は
だんだん気になって中身が伝わらなくなります。
元気よく心がこもった話しぶりには思わず応援したくなります。

 創業以来訪問販売をメインとしているY販売の次長は、
宣伝と取られかねない立場にもかかわらず
ユーモアを交えての熱弁で出色の出来だった。
訪問販売時のお客様の異状を通報する事で年間十回以上の見守りを実践されていた。
そういえば我が家も毎週訪問を受けている。
既に高齢者夫婦だから見守られているのかも?

 最後は大阪教育大学準教授の講演だった。
いかにもまじめで大きな声での話しぶりに好感が持てた。
が、何より素晴らしかったのは講演の内容だった。
「おせっかいのすすめ」というタイトル自体が素晴らしい。

 よい意味の「お節介」とは目配り・気配り・心配りができて、
他人の困りごとを放っておけない人のことだという。
地域の福祉力=お節介力でなければならないとも。
助け上手にも助けられ上手にもならなければならない。
助けられることを拒む助けられ下手な人は、
遠慮や無気力やプライドが邪魔をしているだけと言い切る。
児童虐待には母親にお節介しよう。
ほっとかれへんからお節介しよう。
相談を受けたら突き返さない。
相談を受けたらすぐに対応する。
対応とは一緒に考えることであって答えを出すことではない。
PPKとはピンピンころりという死の理想形らしい。

 断片的な言葉の羅列だけで何も伝えられないとは思いますが
話術に加えて内容が素晴らしければ
一層聞き手に感銘を与えられると感じた次第です。

 一週間後の十二日には我孫子南中学校の卒業式に参列しました。
在校生の「送る言葉」、卒業生の「旅立ちの言葉」に感動しました。
荒れていた学年が立派に立ち直れたことを知りました。
今まで参列して来なかったことを悔やみ、
地元の代表として入学式、卒業式、運動会は見届けるべきと反省しました。

  誌面が尽きました。年度末に当たり、
町会員皆様の一年間のご理解ご協力まことに有難うございました。
班長様には一年間のご苦労を感謝し心より御礼申し上げます。
新班長様には、四月からの一年間よろしくお願い申し上げます。
まだまだ寒い日が続いていますが、
皆様のご健康をお祈りしつつ年度末のご挨拶といたします。





平成27年01月(2015.01)
謹賀新年
 新しい年が災害のない健康で幸せな年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
新年三が日は大晦日の暖かさから真冬の寒さに一変しましたが、
インフルエンザが猛威を振るっているようですのでどうかご自愛ください。
 暮れの28日から3日間は防火・防犯を目的に
町会各部会の役員延べ30数名で夜警を行いました。
ところが空き巣は大晦日の9時頃からが多いのにという声を聞きました。
残念ながら夜警を大晦日まで延長できませんが、
役員宅の小提灯は大晦日まで吊るしておくべきかも知れませんね。
幸い空き巣の報告は受けていませんが。

 さて、新年早々の話題としてはふさわしくないかもしれませんが、
糞害に対して憤慨するお爺さんのお話です。

 暮れも押し迫った26日に我が家に電話が入りました。
散歩犬の糞害がひどいので、その対策を役所等に相談され、
住吉区保健福祉センター作成の印刷物を数枚お持ちのようでした。
飼い主にマナー向上を啓発するポスターでした。

 お爺さんがお住まいのマンションの壁、関電の電柱には
既にご自分で貼られていました。
いずれも許可を得た上での掲示だとのことでした。

 私へのご依頼は、NTTの電柱へも貼りたいのだが、
一般個人では添架(てんか)申請が受け付けてもらえないので
町会長として相談に乗って欲しいとのことでした。

 ちなみに、添架申請とは電柱などにポスターを貼ったり、
放送用電線を張ったりする際の認可申請のことです。
杉本町では町内放送のための設備について添架申請を行い、
わずかですが添架料金を支払って使用しています。

 既に添架申請書類をお持ちでしたが、
地図や写真の添付が求められていましたので、
一式を預かって私が申請を代行することとしました。

 依頼者は町内にお住みですが町会員ではありませんでした。
しかし町会地域内の問題につきお引き受けしたわけです。
不法な放置物(?)に対して合法的に対処しようとする姿勢に
感銘を受けたからでもあります。

 奇しくも今日、NTTから申請書の受理通知が届きました。
うれしかったのは、ポスターの内容を説明したところ、
認可は年を越すことになるので、
認可前でもポスターを貼ってもよいという回答が得られたことです。
お役所的ではなかったわけです。

 犬や猫の糞害については他でも耳にすることがあります。
一部の飼い主の皆さんに、
糞害に憤慨されている方の深刻さと意気込みを伝えるべくまとめてみました。
町内ではポイ捨て、不法投棄、騒音に対する苦情も耳にします。
「ご近所みんな仲良く」は理想でしょうが、
いざ災害というときにはご近所の付き合いが命を救うこともあります。

 もう、誌面が尽きました。
殊の外寒い日が続く新年ですが、寒さはこれからが本番です。
町会員皆様におかれましては、健康にご留意いただき、
お元気でうれしい春を迎えられますよう心よりお祈り申し上げます。





平成26年11月(2014.11)

秋の終わりに
 敬老会をはじめとする町会各部会の秋の行事予定は、
そのすべてを無事故でこなせました。
ご協力まことにありがとうございました。
以下少し振り返ってみます。
心配された十月の二つの直撃台風のすき間に、
杉寿会一泊旅行、子供会秋祭りが実施できました。
文化の日の女性部日帰り旅行も好天に恵まれ何よりでした。
十一月五日には班長様方のご協力で赤い羽根募金がすべて集まり感謝したものです。

 私自身は十月七日の杉寿会旅行の宴会の場が
六十九歳の誕生日であったことを喜んだのも束の間、
以後の秋祭りの太鼓指導、施設への慰問、趣味の合奏練習と
公私の予定が続いたためか、何年か振りの悪寒発熱で寝込んでしまいました。
子供会の秋祭りには大変迷惑をかけてしまい申し訳なく、
誌面を借りてお詫び申し上げます。

 さて、退職後の十年間毎日原稿用紙一枚以上の日記を書き続けてこられましたので、
書くのは苦手ではないのですが、
「杉本だより」の巻頭を飾る原稿では自分を消して
町会がらみのテーマを見つけなければと思うと毎回苦労するわけです。
そこで今回は最近のいくつかの雑感で誌面を埋めようと考えました。

 敬老会では、町籍簿に基づき七十歳以上の方のご招待名簿を作成しました。
ご招待もれがないよう注意しましたが、
町籍簿自体の不備も散見されるようになりました。
亡くなられた場合はご香典などをお渡しすることで把握できます。
ご出産、ご結婚などでは、たとえわずかでもお祝いする仕組み
があってもいいのではと思ったりします。

 また、私事ですがギターを持ってのボランティア活動ではこんなことがありました。
毎回十五曲程度の童謡・唱歌、民謡、懐メロをみんなで一緒に歌うのですが、
施設の若い職員さん方に「知っている曲がありましたか」と尋ねると
二曲だけ知っていたなどという答えが返ります。
職員さん方は利用者とは歌って遊べないわけです。
一方、杉寿会の総会、花見の宴、宴会の場でカラオケ部の方が歌う歌は
私の知らない曲ばかりです。不思議ですね!

 公園掃除の最中、最近禁煙したというある役員さんのつぶやきです。
「自分がタバコを吸っている時は気にならなかったが、
公園のごみはタバコの吸殻ばっかりやなー」
大人たちが公園を汚すのは許せませんね。

 ここ数ヶ月の間にシャッター荒らしや理髪店などの店頭荒らしが数件発生しました。
警察官の話では、ガラスに小穴を開けての窓から侵入は数秒で可能だとか。
別件ですが、今朝、地蔵堂の賽銭箱の南京錠が壊されているとの報告を受けました。
犯人は小遣い稼ぎのつもりでしょうが、被害者側の物的、心的損害は甚大です。
善良な通行人を装う犯人が犯行に及ぶ瞬間をカメラに収めたいものです。
小犯罪の犯人逮捕は期待できませんが、
町内にもっと多くの防犯カメラを設置したいものですね。

 「町会からのお知らせを、回覧ではなくて全戸配付にしたところ、
安否確認などに格段の効果がありました。」とは他町の町会長さんの発言でした。
我が町では既に奇数月毎に「杉本だより」を全戸配付しています。
班長様へは、高齢者宅ではお声掛けもお願いすべきかなと思いました。

 紙面が尽きました。
寒さが厳しくなる気ぜわしい師走を迎えますが、皆様ご自愛ください。





平成26年09月(2014.09)

中秋の名月
 九月八日、天候に恵まれて美しい月を観ることができました。
この日は旧暦八月十五日にあたり、いわゆる「中秋の名月」でした。
名月は満月とは限らず、今年の実際の満月は九日だったようです。
我が家では月見飾りのお団子や赤飯を月が昇る前に食べてしまうという失態が!

 ところで、旧暦では七.八、九月が秋とされ、
八月を秋の真ん中の一ヶ月という意味で「仲秋」、
八月十五日を仲秋八月の真ん中という意味で「中秋」と書くようです。
昨今ではちょっとした疑問がインターネット検索で氷解するわけですが、
どちらでもよいという書き込みもありました。
自己責任で引用しなければなりませんね。

 単に「十五夜」と呼ぶのは八月十五日の夜を意味しますが、
「十三夜」は旧暦の九月十三日の夜を意味するようで、
新暦では今年は十月六日にあたります。
日本では十五夜と十三夜に月見をする風習があったわけです。

 一方、竹取物語では月を見て嘆息する姫をたしなめる記述があり、
月を忌む風習もあったと言われています。
旧暦では、新暦では、と書き続けますとややこしくなりますが
以下も敢えてややこしく書き進めて行きます。

 旧暦六月二十四日、春の終わりにあたる七月二十日には
子供会の夜店大会が杉本町会館で盛大に行われました。
旧暦七月二十日にあたる八月十五日には杉本町公園で盆踊り大会を開催しました。
組立日は台風のため延期を余儀なくされ、
盆踊り当日はにわか雨や電気事故、騒音苦情で苦労しました。
解体日も怪しい天気予報で気が気でなかった思い出があります。
旧暦の八月二十日にあたる九月十四日には依羅小学校で敬老会がありました。
敬老会では招待状のお届け、欠席された方へのお土産配りが
安否確認の意味を持つわけですが、已む無く玄関先へのお届けとなってしまいました。
夜遅くまでお土産配りに追われたのは
昨年の反省が生かせていないからと大いに反省しています。
各行事では昨年の反省を生かすべくいろいろ工夫したつもりですが、
新たな反省事項が浮かび上がり反省の繰り返しが続いています。

 旧暦十三夜の九月十三日は新暦では十月六日です。
翌日は私の六十代最後の誕生日です。(余計なこと!)
その七、八日は杉寿会の一泊旅行、引き続いて太鼓の練習があり、
十二日には子供会の秋祭りが予定されています。
私もそれらの行事すべてにかかわります。
皆様におかれましても行事に参加するということで
各行事を盛り上げていただければ幸いです。

 というわけで、今回の原稿は名月にこじつけて、いや故事月て(?)
新旧の暦で夏から秋の町会行事を見渡すこととしました。
今年の日本列島は総じて猛暑から免れたにもかかわらず、
広島を始め各地でゲリラ豪雨被害がありました。
被災された地域の方々には心からのお見舞いを申し上げるばかりです。
幸い我が杉本町は豪雨もなく本当にありがたいことです。

 最後になりましたが、十月には班長様を通じて赤い羽根募金のお願いをいたします。
昨年同様のご理解とご協力をお願い申し上げます。






平成26年07月(2014.07)
裏方さん
 過去最強クラスと言われた台風八号は、
我が町に最接近した時点では既に勢力が衰えていて安堵したものですが、
その日の朝、Xタイプ印刷のXX様が逝去されました。
無理を言って今年も町会役員をお引き受けいただいていました。
謹んでお悔やみ申し上げますとともにご冥福をお祈りいたします。

 杉本町の広報誌であるこの「すぎもとだより」は
創刊号より谷タイプ印刷様に印刷をお願いしております。
当初こそ町会役員で編集会議を開いていたようですが、
最近では町会各部会は原稿を届けるだけで、
誌面作りのすべてはおんぶに抱っこの状態でした。
幸い、ご子息様が後を継いでいらっしゃいますので
引き続き同じご苦労をおかけすることになりますが、
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、今年も七月には子供会が夜店大会を杉本町会館で、
八月には町会が盆踊り大会を杉本町公園で開催します。
大勢の人が集まる行事や、道路や公園を使用する行事では
警察への届出や公園事務所を通じて大阪市長の認可が必要となります。
秋から冬にかけての秋祭りや年末夜警も届出や認可が必要となるわけです。

 役所関係への手続きを長年一手に引き受けて走り回ってくださったのは
XX様と同い年のXX様でした。
残念ながら今春町会を退かれました。
それでも子供会の夜店大会の手続きは育成会役員として
今年もお願いすることになったようです。

 盆踊り大会の認可手続きについては、今年は私が受け持つことにしました。
一度経験してマニュアルが作れたらとの思いです。
町会長自らが動かなくても、との陰の声があったようですが。

 警察へは行事詳細を記入し、
数名の責任者の押印付きの届出書、誓約書、会場近辺の地図が必要でした。
不備がなければ即日受け付けてもらえるようです。

 公園事務所へは認可申請書、使用料免除申請書、
誓約書、盆踊り櫓の寸法図、近辺地図が必要でした。
長居公園内の公園事務所では申請用紙が変わったので
準備した書類ではだめだと言われました。
印鑑を持ち合わせていたのでその場で書き直しました。
二日後には書類ができましたとの連絡があり、
再度出かけて認可書を受け取りました。
書類の書き直しや認可書が郵送されないなどの不満もありましたが応対は丁寧でした。

 長々と書いてしまいました。
長年にわたる裏方さんのご苦労への感謝の気持ちを込めて書かせていただきました。
町会長職にあると、いろいろな場面で裏方さんのおかげを感じることがあるからです。

 平成二十六年度も早四ヶ月が過ぎようとしています。
町会員皆様方のご理解ご協力と、班長様のお骨折りのおかげで、
町会費・日赤社資募金の受け入れが無事終わりました。
八月の盆踊り大会の認可も取れましたが、
今年もご先祖様をお送りするお盆の十五日のみの開催といたします。
何卒昨年同様のご理解ご協力をお願い申し上げます。

 原稿を書いている今は梅雨の真っ最中ですが、今年も猛暑が予想されます。
町会員の皆様におかれましては、我慢をせずに必要な涼を取られて、
お元気に夏を乗り越えられますようお祈り申し上げます。





平成26年05月(2014.05)
二期目を迎えて
 大勢の皆さんに助けられて二年間をどうにか務めることができました。
四月十九日の総会では、もう一期二年間を頑張らねばと決心した次第です。
盛り立てていただきました役員班長様方には心より御礼申し上げます。

 さて、会館には「すぎもとだより」の創刊号から最新の第百八十号までが保管されています。
丁度三十年分の記録です。
私自身の子供会会長時代の記事を懐かしく読んだりもしましたが、
困った時には過去の記事を参考にさせていただいたものです。

 ところが、そこには年度替りの苦労話はあまり載っていません。
というわけで、今回は年度替りのひとコマを書き残しておくことにします。

 町会庶務を六年間経験していますので、
町会の事務はよくわかっているつもりでした。
事務負担は全く苦にならないのですが、
人を動かすのが何より苦手な私にとりましては、
二年の任期が満了した年度替り、
つまり今年の一月から四月にかけては予期せぬ気苦労の連続でした。

 まず、二月上旬には、まだ何も決まっていないのに
二十六年度の町会役員名簿を区役所に提出せよとのこと。
高齢や健康上の理由で役員が減りつつあります。
退任役員数以上の補充をしなければと気はあせるばかり。
つてを頼ってばかりで役員を選んではならないと、
町内掲示板に役員募集の貼紙をしたほどでした。
結果として応募はなかったのですがこれからもお待ちしています。
区役所へはとりあえず留任予定者で名簿を作成して届けておきました。

 三月から四月にかけては頼りにしている古参役員さん方の応援を得て、
新役員勧誘の行脚を行いました。
うれしくもありがたいことに、七名の方が快く就任を引き受けてくださいました。
四月の発足総会で新体制が承認されて、二十六年度のスタートが無事切れたわけです。

 二年任期の地域の委員さんは他にもいらっしゃいます。
今まではあまり伝えられていませんでしたので、
今回私が関与した範囲ですが、誌面で紹介させていただきます。

 青少年指導員には元子供会会長の稲谷XXさんと、
今年度子供会会長に再任されました稲谷XXさんにお引き受けいただきました。
大阪市では地域における青少年の健全育成活動と、
非行防止活動を推進するために、約三千七百名に委嘱しているとのことです。

 青少年福祉委員には前子供会会長の高橋XXさんにお願いしました。
青少年指導員活動を側面的に援助するとともに、
青少年問題の啓発と、青少年をとりまく社会環境の浄化などを
行っていただくための委員で、大阪市では約三千四百名が委嘱されています。

 防災リーダーには阪本XXさんと稲谷XXさんに留任をお願いしました。
稲谷さんには町会の災害救助部部長も留任していただきました。
阪本さんは、昨年度末に町会役員を退任されましたが、
公園愛護会会長
は引き続き務めていただけるようです。
お二方とも私より高齢ですので
お手伝いをしながら後継者を養成しなければと考えています。
大阪市では現在約八千人の方々が活動しておられます。
大規模災害時には隣接住民の先頭に立って
初期消火救出救護活動を行うリーダーとして、また、
平常時には防災点検・防災啓発、防災訓練を繰り返し行い
防災に必要な知識や技術を習得するために取り組んでいます。

 総会一週間後のゴールデンウィークには町内でご不幸が五件相次ぎました。
役員様方の連日のお手伝いまことにありがとうございました。
ご遺族様には心よりお悔やみ申し上げますとともに、
謹んで故人様のご冥福をお祈り申し上げます。

 発足早々ですが、連休明けには日赤社資募金のお願いをいたします。
班長様には新たなご負担をおかけします。
町会員様には昨年と変わらぬご理解とご協力をお願い申し上げます。





平成26年03月(2014.03)
避難所開設訓練
 大震災から既に丸三年が経ったのに、
未だ復興が進まぬ被災地の映像を見るたびに心がうずきます。
比較的安全と言われている我が町ですが高をくくっていてはいけませんね。

 直下型地震が発生したとの想定で、
三月八日に大阪市危機管理室や住吉区役所職員の指導のもと、
依羅校区各町会役員が役割分担を決めて依羅小学校で避難所開設訓練を行いました。
被災への危機感を持ってもらうためでもあります。
避難所開設訓練は広域災害の場合、
避難者のお世話は地元の誰かが避難所を開設して行うしかないからです。

 訓練は地域本部、同本部各班、避難所運営委員会からなる
依羅地域自主防災組織がいくつかの被害状況を想定して行いました。

 いざ被災した場合は、まず自分の安全、家族の安全を確認後、
避難が必要ならば、まず一時避難場所である杉本町公園に避難し、
そこから収容避難所である依羅小学校へ向かうことになります。
広域避難場所としては大阪市立大学も当てられています。

 訓練日当日にはいくつかの手違いがありました。
公園に駆けつけた時には、既に避難者たちは
防災リーダーに引率されて依羅小学校へ向かったあと。
置いてきぼりとなってしまわれた方がお二人。
エレベータは使えないとの設定のため、
歩行が困難な方には辛い思いをさせてしまいました。
誠に申し訳なく深くお詫び申し上げます。

 たまたま当日十時から会議を予定していた子供会の方にも急きょご参加願い、
どうにか所定人数分の参加を得られて胸をなでおろした次第です。

 体育館では「津波に備える」のDVDで心構えを学び、
校庭では消防署員によるいくつかの訓練を受けていただきました。
ロープワークでは、
上下を間違えるだけで本結びになったり団子結びになったりすることを、
無害の煙が充満するテントの中を
恐る恐る歩いて視界ゼロも体験していただきました。
最後は水消火器の操作でしたが、
帰りがけには炊出しご飯や乾パン、簡易蒸しパンなどの配布がありました。

 自分が動くのは厭わない私ですが、人を動かすのは苦手です。
訓練日までいろいろ無い知恵を絞りましたが、
案ずるより産むが易しとはよく言ったもので、
訓練日当日はあっという間に時間が過ぎていきました。
今回の訓練は第一回ということですので、
今後もご協力をお願いすることとなります。
近いうちには防災マニュアルを各戸に配付できる予定です。

 今回は避難所開設訓練の話に終始してしまいました。
年度末に当たり一年間不束な私を支えてくださいました皆様に一言御礼申し上げます。

 町会員様には一年間の町会活動へのご理解、ご協力深謝し心より御礼申し上げます。
班長様には一年の最後に新班長様を推薦して頂きました。
一年間のお務め誠にありがとうございました。
町会役員様におかれましても任期の二年間のご協力ありがとうございました。

 四月には新しい班長様をお迎えして発足総会を開きます。
次年度も皆様のご協力を切にお願いする次第でございます。

欄外
 会館で十年間飼われ、飼い主の会館管理人南部さんの死後は
二年間を会館で一人で隠れまわって過ごし、
最後の二年半は我が家に居候をして癒しをくれていた老白猫のチーコは、
去る二月十一日朝、猫らしくなく居間で大きく伸びを一回して、
眠るように天国に旅立ちました。
チーコの在りし日を知る方へ謹んでお知らせいたします。
享年は十六歳、お墓は我が家の庭です。





平成26年01月(2014.01)

明けましておめでとうございます
 新春に臨み、きのえうま(甲午)の本年が皆様にとりまして
健康で穏やかな一年でありますよう心からお祈り申し上げます。

 新年三が日は比較的暖かい日に恵まれました。
師走が例年以上に寒かったからでしょうか、
大晦日の次の朝に過ぎなくても「お正月らしさ」を感じました。

 さて、今回は年の瀬の大掃除騒動について書いてみます。
といっても、役員総出で行った杉本町会館の大掃除でも、
自宅の大掃除でもありません。

 大晦日の午後二時過ぎのことでした。
お墓参りも済ませてのんびりしていた私は、
未だ忙しくお仏壇の掃除などをしていた家内から脚立の片付けを頼まれました。
台所のいつもの場所に立てかけるだけのことでした。

 食器棚の側壁に立てかけたはずの脚立が、
角度が悪かったのか少しすべったようでした。
不気味なシューという音に振り向きました。
数秒間で、あっという間に廊下はピンクに染まりました。
脚立のはしご部が消火器に当たったのです。

 以前、消火器の安全ピンがはずれ落ちていたのを家内が見つけ、
私に元に戻して欲しいと手渡したというのです。
私はといえば単純に元に戻しただけで固定しなかったらしいのです。
あまり記憶に残っていないのが問題なのですが、
消火器の安全ピンははずれていました。

 大慌てで掃除機を持ち出すもすぐさま目詰まり、
もう一台の掃除機もすぐに吸わなくなりました。
ほうきで掃こうしましたが、粉ぼこり舞うだけ。
結局一時間かけて雑巾や手ですくい取り、
フローリングの隙間は古歯ブラシが活躍しました。

 消火器にはまだ粉末が数秒分残っていました。
ビニール袋の中に粉を出し切っておきました。
年が明けてからコーナンで新しい消火器を買い求めました。
誤噴出させた消火器は購入時に引き取ってもらえましたし、
価格も訪問業者と比べると半額以下でした。
元の消火器は訪問業者から買ったものでした。
昨年、訪問業者からの回覧依頼を断ってよかったと実感しました。

 ところで買い換えた消火器も粉末ABC消火器です。
Aは一般火災、Bは油火災、Cは電気火災を指します。
三種の火災に適合した、ガスとピンクの粉末で消火するわけです。

 長々と書きましたが、我が家は十五年前に火災を起こし、
ご近所に多大な迷惑をおかけしました。
年の瀬の他愛ない消火器騒動をお読みいただくことで
消火器への理解を深めていただこうと思った次第です。

 冬将軍はまだまだこれからが本番です。
町会員皆様におかれましては、健康にご留意いただくとともに、
火の用心もお願いいたします。

 追って、三月八日には
「午前十時にマグニチュード7・0の直下型地震発生!」との想定で、
依羅校区全体での防災訓練が行われます。
一部の方にはご協力をお願いすることとなりますのでお知らせしておきます。





平成25年11月(2013.11)

ポータブル防犯カメラ
 「持ち運びができる防犯カメラが借りられればいいな」
とはある町会役員のつぶやきでした。
自宅のゴミを公園のゴミ箱に捨てたり、
曜日にかかわらず他人の家の前にゴミを置き去ったり、
タバコの吸い殻などを日々ポイ捨てしたり、
ペットの糞を始末せずに立ち去ったり、そういう輩の証拠写真が撮れますね。
(残念ながら公園のゴミ箱は家庭ごみですぐに一杯になるので
撤去せざるを得ませんでした。)

 ところで、昨今の「食材の偽装事件」は如何なものでしょう。
「あの百貨店が、ホテルが」とすべての人が唖然としたことと思われます。
発端は人事的謀略だなどとも囁かれていますが、
素直に内部告発と思うことにしています。
防犯カメラがなくても証拠が揃ってしまうのに、
何故ブランド企業が偽装をしていたのか呆れますね。
他人が見ていなければ、ばれなければ、という甘い気持ちが働いていたわけです。
今後ますます防犯カメラや内部告発で犯人の特定や事件の暴露が続くでしょう。
防犯カメラのレンタルはプライバシーの問題で実現は難しいでしょうが。

 さて、これらのことから、
私は高校時代に漢文で習った「震四知を恐る」ということわざを思い出しました。

 後漢時代の楊震という官吏が賄賂を拒絶するときの言葉だとされています。
ことわざ辞典では「天知り、地知り、我知り、人知る」となっていますが、
私は「人知る」ではなく「君知る」と覚えたものです。
言うまでもなく、天も地も我も君も知っているのだから、
不正は必ず露見するものだという戒めのことわざです。

 私の座右の銘でもありますが、より詳しく調べてみますと
「人が見ている、見ていないで己の言行を安易に変えてはいけない。
常に自分が善しと思ったことのみを為すべきだ」
という強い意志が含まれているとあります。
あらためて肝に銘じた次第です。

 今日は十一月十日、防災意識の高揚を図るための運動会が沢之町公園で開かれました。
杉本町からも数名が競技に参加しましたが、
防災に関連した種目がおもしろく、おいしい自衛隊の豚汁もふるまわれました。
残念ながら荒天見込みのため昼過ぎで終了となりました。
帰宅後、気になっていた原稿をここまで書き上げたところですが、
防災に関する残る二つ、「防災マニュアル作り」と「防災訓練」は
3月8日の訓練実施に向けて着実に推移しています。

 最後になりました。赤い羽根共同募金につきましては、
本年も昨年同様のご協力をいただき誠にありがとうございました。
毎年感じますのは、町会が会員様から信頼を得ていてこそということ、
また、順番制でお引き受け願っているにもかかわりませず、
各班長様方は責任感が大変お強いということです。
まさに信頼関係があってこそ町会各事業が推進できていると強く感じた次第です。
防犯カメラや内部告発でせっかくの信頼を失墜せぬよう、
町会各部会の役員一同、一層気を引き締め精進せねばならぬとの思いを強めております。

 短い秋に続いて、また寒く長い冬がやって来ます。町会員の皆様方には、
来年も杉本だよりを楽しくお読みいただきたく、くれぐれもご自愛ください。





平成25年09月(2013.09)
夏から秋へのいろいろ
 猛暑の夏がようやく終わりました。
各地では昨年以上にゲリラ豪雨が暴れたようですが、
我が杉本町では被害もなく本当にありがたいことです。
それでも肌寒い秋風には一抹の寂しさを感じてしまうのは私だけでしょうか。
私は開放的な夏が根っから好きなのかもしれません。

 そんな猛暑、烈暑の夏に、今年も盆踊り大会を開催いたしました。
時代の流れとは言え、数十年の歴史を消極的な方向に舵を取ってしまいました。
そんな「一日だけの開催」でしたが変わらぬご支援を賜り心より厚く御礼申し上げます。

 盆踊りを一日制に変更したことによる不手際が
いくつかあり申し訳ございませんでした。
また、余剰金につきましては一部を町会傘下各部会の活動資金に、
残りは盆踊り会計に入金させていただきました。
その他の詳細につきましては庶務欄をご参照ください。

 九月十五日には依羅小学校体育館で敬老会が開催されました。
当町の七十才以上のご招待者は三百五十六名だったとのことです。
案内状をお手渡しすることが安否確認にもつながっています。
六月には救急情報を入れたカプセルの冷蔵庫保管をお願いしたばかりですが、
引き続きご近所の方へのお声掛けをお願いいたします。

 次に、地域の防災プラン作りについてお知らせしておきます。
住吉区では平成二十四年度から専門家の指導の下で
区内全十二地域独自の防災プランの策定を推進しています。
パソコンに「住吉区防災プラン」と入力して検索することで
インターネットで詳しい情報が得られます。

 依羅校区各町の特性に合ったプランを策定するために、
杉本町会からも数名が参加協力しています。
二十六年度早々には全家庭に防災プランの小冊子をお届け出来る予定です。

 そんな最中の九月
十六日には、台風十八号の影響で
朝から大和川洪水警報とともに依羅地区にも避難勧告が出ました。
各町会長は防災服着用にて招集され、依羅小学校に避難所を開設しました。
六十七名(と猫二匹)が避難されましたが、
幸い昼前には警報が解除され避難所も閉鎖できました。
結果的には現実感あふれた防災訓練となりました。

 一方、同時に進められている「事前防災訓練」及び
防災意識高揚のための「住吉防災フェスタ(運動会)」
についてもお知らせしておかねばなりません。

 「事前防災訓練」は九月から二月までの四回の準備作業を経て
来年三月八日に依羅小学校で行われます。
一部の方にはご参加願うかもしれません。

 「住吉防災フェスタ」は、防災を意識できる競技を盛り込んで、
十一月十日に沢之町公園で開催されます。
小学生から六十歳以上までの約二十名が出場いたしますので応援をお願いいたします。

 最後になりましたが、秋の行事を取りまとめておきます。
九月二十九日、三十日は杉寿会の一泊旅行です。
十月は子供会の秋祭りがあり、
班長様にまたまたご苦労願うことになりますが赤い羽募金協力の月でもあります。
十一月には女性部の日帰り旅行があります。

 これらの行事が一つのきっかけとなって、
なんらかの新しいふれあいが始まることを期待しています。






平成25年07月(2013.07)
読書の夏
 平成二十五年度も早四ヶ月が過ぎようとしています。
町会員の皆様方のご協力と、班長様のお骨折りのおかげで、
町会費・日赤社資募金の受け入れ、救急カプセルの申込受け付けなどが
順調に推移いたしました。
一日も早くカプセルを配布すべく準備中でございます。

 次の行事は八月の盆踊り大会です。
諸般の事情で十五日のみの開催といたしますが、
何卒昨年同様のご理解ご協力をお願い申し上げます。
このところ連日猛暑が続いていますが、皆様におかれましては、
ご無理をなさらずに適度な涼と水分を摂っていただき、
暑い夏をお元気で乗り切られますよう心よりお祈り申し上げます。

 さて、今回は暑い夏なのに、「読書」について書いてみます。
私も人並みに買い物のアッシーをすることがあるのですが、
そんな時は買い物についてまわるのが苦手で、
連絡が入るまで書店で時間を過ごします。
今年は父の法事が六月にあったためか、
夏を前にアッシー回数が多かったわけです。

 前回買った本を読み終えないうちに、また何冊か買ってしまうことが続き、
未読本が何冊もたまってしまいました。
買った限りは必ず読み終えるのが私のけちくさいところで、
今日も少しずつ読み続けています。
最近は目が悪くなったことと、お酒を眠り薬代わりにする悪いくせのため、
めっきり読書時間が少なくなっているのですが。

 本屋大賞「海賊と呼ばれた男」には文句なしに感動しました。
ある石油会社の創業者の敗戦前後のお話です。
私欲のないこんな人が、会社が、当時の日本に実在していて、
巨大資本やGHQや政府と死に物狂いで戦ったのです。
その会社とは私の好きな番組「題名のない音楽会」のスポンサーで、
金は出すが口は出さない会社だという話は聞き知っていました。
さもありなん!
「どうせガソリンを入れるのならこんな会社のガソリンを入れたくなるね」
と飲み会でつぶやいたら、
「XXさん、ガソリンは安い店で入れるもんや!」
と友人から一蹴されましたが。
この素晴らしい本を選んだのは私ではなく家内でした。残念!
たまたま住吉大社から頂いた扇子の挿絵が一寸法師でした。
お椀の舟を箸の櫂で漕ぐ一寸法師の絵に
「住吉大社の扇子になぜ?」と家内が訝りました。
ちょうど読みかけていた「大阪府謎解き散歩」のあるタイトルが思い出されました。
「一寸法師が大阪生まれ」と知る人は少ないだろうと書いてありました。
境内第三本宮の近くに「一寸法師発祥の地」の看板があるとか。
物語の冒頭は、住吉大明神にお祈りし、そのお陰で子供を授かるとあります。
お伽話「一寸法師」は住吉大社の神々にまつわるお話だったのです!
以前は書店に出かけても買いたい本があまり見つからなかったのですが、
今年の夏は珍しく購買意欲をそそられました。
「五体不満足」
の乙武洋匡さんの新作
「僕が明るく生きられる理由」にも感動しました。
どうしてこの人はこんなに自己肯定ができて明るく生きられるのでしょう。
韓国での生活が三十年以上という
産経新聞ソウル駐在特別記者黒田勝弘さんの「韓国反日感情の正体」は、
急成長の歪みから韓国を説明する金慶珠さんの「歪みの国韓国」
と合わせて読んだのですが、私より四歳年上の著者が、
韓国という駄々っ子をあやしているようで何やら納得できました。
韓流ドラマを通じて韓国に親しみを感じはじめていたのですが、
隣国と仲良くするのはむつかしいものですね。
井沢元彦さんの「逆説の日本史」三冊、
文藝春秋編「司馬遼太郎全仕事」など、
まだまだ未読本がたまっています。
今年はなぜか「読書の夏」となりました。
秋には何をすれば?





平成25年05月(2013.05)
二年目に思うこと
 明け方に大きな揺れを感じて目が覚めました。
四月十三日午前五時三十三分のことです。
家内はすぐに飛び起きて着替えたようですが、
私は図太くも、もうひと眠りしてしまいました。
地震に対する心構えが出来ていないと反省しきり。
ご近所に揺れに気が付かなかった友人がいたことには驚きましたが、、

 「余震は本震より小さいから大丈夫」などと変な理屈までこねた私ですが、
それにしても阪神淡路大震災と同じ早朝の揺れには驚かされました。
災害は忘れた頃、予期せぬ瞬間にやって来るものだとの思いを
今更ながらに実感した次第です。

 大きな揺れの丁度一週間後の二十日に、
杉本振興町会の平成二十五年度発足総会を開きました。
今年度は班長様だけの改選年度に当ります。
新旧班長様お揃いでご出席いただき、
何の「揺れ」もなく、すべての議案をご承認いただけました。

 前年度班長様には一年間のご協力に対して
心より感謝とお礼を申し上げます。
新班長様におかれましては町会費集めに続いて
日赤社資募金のとりまとめをお願いすることになります。
まことに心苦しいのですが何卒よろしくお願い申し上げます。

 昨年春に「神輿を担がれて」町会長職をお引き受けした私ですが、
一年はあっという間に過ぎてしまいました。
薄氷を踏む思いだったといえば大げさですが、
班長様を始め、担いでくれている役員方の心強いご協力があってこその一年でした。
あらためて厚く御礼申し上げます。

 さて、ともすれば何事にも争いを避け妥協しやすく、
八方美人で丸い感じと思われがちの私ですが、
内心は殻を破りたい、破目をはずしたい、何くそという気持ちに溢れています。
手始めにこの「すぎもとだより」の巻頭を飾る(?)一文で
個性を出そうと一年間工夫してみましたが、
ご挨拶やお礼だけで紙面が尽きることが多く、
私なりの小さな目論見は成功したとは言えませんでした。
世の中の動きなどはメディアにまかせ、
私なりの小さな世界を面白く読んでもらえるよう
引き続き挑戦していくつもりです。

 ところでこの「すぎもとだより」を杉本町の広報誌として
二ケ月ごとに発行するにはそれなりの形式、格式を守る必要があるのも事実です。
編集会議が途絶えてしまい印刷屋さんにおんぶに抱っこの最近ですが、
長年のご苦労に対して敢えて紙面で谷タイプ様に御礼申し上げます。

 最後になりましたが、夏の盆踊り大会に関してのお知らせとお願いです。
既に総会の席で班長様にはお伝えいたしましたが、
例年の八月十五日、十六日の二日間開催を
十五日だけの一日開催とする件です。
数十年続いている伝統行事だけにご不満、ご異論がおありでしょうが、
何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。
一日開催にする理由は、昔ながらの木材による櫓の組立は、
高齢化した町会役員の手には負えなくなり、
大きな事故の発生が予想されるからです。
手持ちの櫓、もしくはパイプ製櫓の組立は専門職に外注すべきであり、
そのための費用の捻出は一日開催とすることで音頭取り費用を削減すること、
また踊り子のお土産についても
廃止を含めて検討することなどで対応することとします。
ご寄付については今までどおりでお願いしたいなどと
個人的には厚かましいことを考えているわけですが、
以上が昨年の盆踊り直後の役員会で決定された内容です。

 というわけで、就任二年目にあたって思うことは、
私自身はすこしだけ我を出し、
今までと少しだけ違う杉本町を目指すことでしょうか。






平成25年03月(2013.03)
一声かけよう
 三月三日、まだまだ寒かった日本列島。
目が覚めやらぬ中のテレビ報道で衝撃が走りました。
命を賭して暴風雪から九歳の我が娘を守った北海道の父親のニュースでした。
あまりにも悲しく辛い、戦慄を覚える出来事でした。
自分ならあそこまで出来ただろうかと
問うことさえ怖くてできないほどのショックでした。

 皮肉にもそんな悲報のすぐあとに、
暦の「啓蟄」に合せるかのように、待ちに待った春がやって来ました。
町会も年度替わりの動き出す時期です。

 年度末に当たり、班長様には一年間のご苦労を感謝し
心より御礼申し上げます。
推薦をお受けいただきました新班長様には、
一年間よろしくお願い申し上げます。

 この原稿を書いている今は三月十一日です。
二年前の午後二時四十六分は居間でテレビを観ていました。
津波の怖さは目に焼きついています。
自然災害には比較的安全と思われる我が町ですが、
東南海大地震などの自然災害の脅威は大いにあります。

 災害時の生死を分ける境い目は、
最後は本人の生きたいという強い意志の差だと言われています。
生きたいのなら周りの人に自分の存在を印象づけておかねばなりません。
ご近所付き合いが嫌いだとは言っておられませんね。
周りの人がみんなで助け合う共助の部分で、
町会が繰り返しお役に立てるのは回覧時の「声かけ」かもしれません。
どうか積極的な声かけでご近所の独居世帯、老齢者のみの世帯の安否を
常に気遣ってあげられる杉本町にしたいものです。

 少し紙面に余裕がありますので、子育て中の若いお母さん方へ知る人ぞ知る
と思われる!「ちょっといい話」を書いておきます。

 子育てに際しては、
「大きな耳」で子供の思いをよく聞いてやり、
・あまりごちゃごちゃ言わずに「小さい口」で接し、
・子供から聞いてくるまで、ゆったりとした「やさしい眼差し」で待ってやり、
甘やかすのではなく、思い切り「甘えさせて」やりなさい
というものです。

 朝日放送ラジオの「ちょっといい話」という番組で知ったのですが、
「このようにして育てられた子は決して非行に走りませんよ」
との自信たっぷりの話しぶりに思わず信じてみたくなりました。

 ほどよく紙面が埋まりました。
四月になれば私にとって町会長二年目の試練が待っています。
めげずに頑張りますので今後ともよろしくお願いいたします。




平成25年01月(2013.01)
明けましておめでとうございます。
 新しい年が皆様にとりまして充実したお年でありますようにお祈りいたします。
昨年は班長様、町会員の皆様には町会活動に一方ならぬご理解とご協力をいただきました。
新米町会長として冷や汗が出る思いで乗り切った半年余りでしたが、
心から厚く御礼申し上げます。

 本年も杉本町のささやかな広報誌に、
その背丈にあった原稿を書かねばと気負っています。
背丈に合わずとも、年末発足の自民党新政権には景気回復を期待してしまうものですが。

 ところで、暮れのNHKの番組で「新年明けましておめでとう」は
文法的には間違いだと指摘していました。
旧年が明けて新年になるのだから、
「明けた新年が明けまして」は「馬から落ちて落馬して」的な過ちだというのです。
「新年に明けまして」の「に」を省略していると思えば
間違いではないと思うのですが如何でしょう。
おかげで「新年明けまして」と書きにくくなりました。

 テレビ番組と言えばこんなことも考えてしまいます。
サラリーマン時代は、麻雀などで帰宅時間が一定せず
夕食時間は不規則だったのですが、
昨今は6時から7時半頃までのニュースどきが私の食時(けどき)です。
ニュース番組を見ながら、聞きながらの食事が多いわけです。
ところがニュースといえば殺人事件であったり、交通事故であったり、
詐欺事件であったり、と食事時にふさわしくないものばかりです。
「嫌なら消せば」と言われそうですが、見てしまうわけです。
 そんな時は心温まるニュースだけのチャンネルが
あればいいのになんて思ってしまいます。

 今朝は雪深い新潟からの2つのニュースに心を打たれました。
一つ目は、積雪の間だけソリを手にして
郵便配達をする88歳の元気なお婆さんの話でした。
寒いし、滑るし、とても辛いので1年で止めようと思ったのに、
喜んでもらえるのがうれしくて今年も続けているとのことでした。
上り坂はソリに郵便物を載せて歩いて登り、
下りはソリに乗って数分の1の時間で滑り下りる姿が愉快で若々しいものでした。

 もう一つは、積雪で列車が不通になるのは鉄道マンの恥だと、
明け方まで線路を整備する北越急行ほくほく線の職員達の話でした。

 いずれも相手が喜んでくれることが大きな励みになっています。
相手を傷つけたり、迷惑をかけて喜ぶ人間が
少しでも減ることを祈らずにはいられません。





平成24年11月(2012.11)
晩秋の職務質問
 とある晩秋の夕暮れ、
ひと雨来そうな曇り空の中、インスタントコーヒーと
ちょっとしたおつまみを買いに走った帰り道のことだった。
私は依羅小学校北西角の交差点を自転車で南に下ろうとしていた。
自転車の前かごには買い物袋と小さなビニール傘を入れていた。
西に向かう信号待ちのパトカーが目に入った。

 私は青信号をしっかり確認しての堂々たる横断だった。
西に向かったと思ったパトカーは突然左折して私を追い抜いて行った。
やがて私の二十メートルほど向こうで停まった。
若い警官がこちらに向かって来た。
「ええっ、何故?」と思ったが、
どうやら私が職務質問を受けることになったのだと悟った。

 またも挙動不審者とみなされたのだ。
堺まで自転車通勤をしていた頃の私は、
確かに何度か職質されたことがある。
退職後にはあびこ商店街周辺で
文房具店をキョロキョロ探していた時に呼び止められたことがある。
今日の私のどこが不審なのかと少々癪に障った。
小さ目のかわいいビニール傘を
前篭に突っ込んでいるのが不審の理由らしかった。
引ったくる時の凶器になるとでも思われたのだろうか。

 「雨が降りそうだったので傘の用意をしていた」と答えると、
「傘を引っ掛けると危ないし、雨が降った時はカッパを着てください」
と流暢に応答する。
そのうち私の名前を聞き出し、自転車の防犯登録の確認にかかった。
盗品かもしれないと疑っているのだ。

 その昔、子供会の廃品回収で出た自転車に乗っていて、
説明に困ったことまで思い出した。
むかついてきた私は言わでものことを口走った。
「私は怪しい者ではなく、杉本町の町会長をさせてもらっているのですよ」と。
若い警官はお構いなしに確認作業を続けた。
交番協議会では、派出所の警察官と地域の防犯について情報交換をし、
住吉警察署のFさんからは、通学の安全を見守るための
防犯カメラの設置推進を喜んでもらっているのにと、

 内心悔しい思いをしていたのだが、よく考えてみると、
交番協議会では町内パトロールの強化を依頼したこともあった。
何の証明書もないのに町会長だと名乗る挙動不審者の言い訳にも惑わされず、
最後まで職務を遂行した天晴れな警官たちではあるまいか。

 帰宅後、そんな負け惜しみを家族に話した。
「また!」と家族からは笑い飛ばされるのが落ちだった。
職質の旧称不審尋問の原因となったビニール傘は、
飲み会の帰り道、急な雨で困った時、ご近所のNさんから頂いたものだった。
「あの傘が悪い!」と酒の肴で済ますべき話題を
『杉本だより』の原稿にしてしまった。
この挙動不審者の戯言をお笑いください。
このあとはまじめに書きます。

 最近の班長会では、ご質問やご要望をいただけるようになりました。
町会が解決出来る範囲は限られていますが、
何らかの窓口にはなれますので、これからもご意見をお待ちしています。

 最後になりましたが、
十月には共同募金への多大なるご理解、ご協力をお願いいたしました。
尊いお気持ちを頂きました町会員の皆様、
お集め頂きました班長様には心より深く厚く感謝と御礼を申し上げます。




平成24年09月(2012.09)
はや秋、やっと秋
 突発的で局地的な「ゲリラ豪雨」はこの夏、
大阪府が全国で最も多い130回だったとの記事を読みました。
その記事以後にも激しい雷雨が何度かありました。
そんな夏でしたが、我が杉本町では大した被害もなく
本当にありがたいことです。

 その暑く厳しい夏が過ぎ、はや秋となりました。
それともやっと来た秋でしょうか。
還暦を過ぎたあたりから1年がとても早く過ぎるようになりました。
今年ももう八ヶ月が過ぎて「はや秋」という感じです。
ところが、生まれて初めて「夏中ランニングシャツを着なかった」
という長く暑い夏でした。
「やっと秋」という気持ちもあります。

 町会では、この暑く厳しい夏に、
一年で一番大きな行事である盆踊り大会を開催しました。
盆踊りの詳細は庶務にまかせますが、町会長の目で眺めますと
役員総出の準備や片付けが大変うれしく美しい光景に見えました。
思わず最後までの無事故を祈ってしまいます。
掲示板のたくさんのご寄付にも感謝の気持ちが湧いて来ます。
杉本の伝統行事にはやはり生の音頭が似合うものです。

 ところが、一方では他町の踊り子さんがやけに目立ちました。
町内の皆さんに本当に喜んでもらえたのだろうかと気になったりします。
例年になく盆踊りの反省会に時間を割きました。
伝統行事を守るために、いろいろな障害が出てきても、
新たな取り組み方を工夫して継続しなければと思っている次第です。

 九月十六日には依羅小学校で敬老会が開催されました。
詳細は庶務欄のとおりですが、
当町の七十才以上のご招待者は三百六十九名だったとのことです。
私は初めてのお手伝いで緊張しました。
新聞の投書欄に「思い切って敬老会に参加したら
知り合いがたくさんいて元気をもらえた」とありました。
敬老会は元気がもらえる会でもあるようですよ。

 毎回の原稿書きが負担だと夕食どきに次女に愚痴ると、
「毎日ホームページに長い日記を書いているんやから、
なんぼでも書けるんちゃうん」と一蹴されてしまいました。
役員会では、将来的には町会長の記事をもっと事務的なものにしなければ
原稿書きが負担で町会長のなり手がいなくなるのではとの声もありました。

 そんなわけで以下は七月以降の町会庶務事項を
単に事務的に列記するだけにします。
前号でも触れましたがいろいろな情報は町会長に集まるものだからです。

@七月の班長会ではセアカゴケグモについての質問がありました。
 私自身が数日前に杉本墓地でそのクモに遭遇していながら、
 何も対応を考えなかったという自責の念からも放置できませんでした。
 墓地委員さんと協力して墓地内と町内掲示板に注意ポスターを掲示しました。
 最悪の場合でも住吉区内の急性期総合医療センターに
 血清があると知り安心したものです。
 攻撃的なクモではないので
 素手で薄暗い隙間などに手を突っ込まなければ大丈夫とのことです。

A通学路への防犯カメラ設置に対して、
 市から半額の補助金が出るとの連絡がありました。
 役員会で検討したいと思っています。

B地蔵堂の照明が暗すぎるとのご指摘がありました。
 点検してもらったところ配線上の異常はないとのことでした。
 グロー球を交換しただけで4箇所が再点灯できました。
 これからは会館大掃除の時に一緒に掃除すべきかもしれませんね。

C長ア堂の駐車場裏から会館に向かう途中に真っ暗な路地がありました。
 両サイドには水銀灯があるのに、暗いのです。
 たまたま廃止したポールが残っていましたので、
 市への追加申請は断念し町会費で再点灯しました。

D杉本屋さんの北東裏側に
 「エルセレーノ杉本WEST」という賃貸マンションが新たに建設されます。
 工事期間は9月中旬から来年3月の予定です。

E猫に餌をやる人に注意をして欲しいとの苦情が2件ありました。
 一件は玉乃湯近くで、「我慢できなくなれば何をするかわからないよ」
 という怖い苦情でした。
 会館の猫を、以前会館で猫を飼っていたおばあちゃんの遺言で、
 その猫を連れ帰って飼っている猫好きの私にとってはつらい対応です。

 インターネットでいろいろな意見を読んでみました。
 怒っている人は自宅の庭への糞害への憤慨だと思われます。
 私も猫を飼いながら、我が家に訪れる野良猫の糞害に悩まされています。
 黙々と片付けるだけですが。

 大阪市生野区のある公園では猫に餌を与えた後、
 公園内のごみを拾い、三つ準備してある猫用トイレの砂を入れ換え、
 食べ残しもきれいに片付ける
 「公園猫適正管理推進サポーター」がいらっしゃるようです。
 六人が交代で世話をしているとのことです。
 杉本町のあちこちに猫が見られる、そんな杉本町がいいと思うのは
 猫好きからの言い分かもしれません。
 どちらにも言い分がある訳ですから歩み寄りたいものですね。
 まともな回答にならず申し訳ないです。

 今回も紙面限度を超過してしまったようです。
町会傘下各部会の行事等は、九月には杉寿会の一泊旅行、
十月には子供会の秋祭り、町会の赤い羽募金集め、
十一月には女性部の日帰り旅行、と続きます。
なんらかの機会で行事にご参加、ご協力をいただき町内に知己を得て欲しいものです。





平成24年07月(2012.07)
夏は来ぬ
 また夏がやって来ました。
夏が好きな私ですが、そろそろ暑さが体にこたえる歳になりました。
節電要請されている今年の夏、皆様方におかれましては
節電のし過ぎで熱中症等になられませぬようくれぐれもご自愛ください。

 明治二十九年に新編教育唱歌として発表された「夏は来ぬ」は
夏が来たことを喜ぶ気持ちを歌った曲です。
文語調の歌詞の意味を調べてみました。

一.卯の花が匂う垣根で、鳴き始めのためだろうか、
  ホトトギスが自信なげにそっと鳴いている。
  ああ夏が来たんだなあ…

二.五月雨がそそぐ田んぼで、初々しい乙女が
  赤い腰巻のすそを濡らして田植えをしている。
  ああ夏が来たんだなあ…

三.みかんの花の香る軒下の窓のすぐそばで蛍が飛び交っている。
  私の怠け心を諌めるようだ。
  ああ夏が来たんだなあ…

 私が小さい頃に遊んだ杉本町の川や田んぼの景色が目に浮かんできます。
以下四番、五番と美しい詞が続きますが割愛します。
歌う時は「夏は来ぬ」の部分は心待ちしていたかのようにウキウキと歌いましょう。

 駄じゃれ好きな人なら、「冬は木綿、夏は絹」、
豆腐屋の歌かと言いかねません。
最近のCMなら「春(貼る)はサロンパス、夏は禁鳥」
少しはしゃぎ過ぎました。

 さて、五月の日赤募金では例年通り、町会員様の熱いお心を頂きました。
心より厚く御礼申し上げます。
詳細は町会庶務欄をご覧下さい。
町会長をお引き受けして三ヶ月余り、今まで以上に会館を往復する日々です。
自宅が会館のそばということは、
私自身だけでなく、皆様にとっても都合がいいようです。
「鍵を貸して」
「判を押して」
「電話番号を教えて」
「不法投棄物の対応をして」
役所や警察や学校からは
「町内回覧してください」
と書類が届きます。

 町会長とは杉本町の窓口であり、
あらゆるご相談にも応えねばとの覚悟は出来ていますが、
宵っ張りの私にとっては朝早い訪問や電話はつらいところです。

 五月の班長会では想定外の津波に関するご質問がありました。
的確な回答が出来ず申し訳ありませんでした。
気休め的な標高値ですが調べてみました。

 地下鉄あびこ駅周辺は海抜16M、
 JR我孫子町駅12M、
 杉本町駅14M、
 高野線我孫子前駅11M、
 阪堺線我孫子道駅5M、
 南海本線住吉公園駅4M、
 住吉区役所6M、
 jR浅香鉄橋下大和川水面5M、
 高野線鉄橋下3M、
 阪堺線鉄橋下2M。

 災害は津波だけではありません。
直撃かと思われた台風四号は東にそれ、
梅雨の豪雨にも大和川が耐えてくれました。
六月の終りに他界した父は生前、
「杉本は雨が少なく、台風被害も少ない住みよい町だ」
とつぶやいていたことがあります。
百年近く生きた父のつぶやきにはなにやら納得してしまいます。

 その父の葬儀に際しましては、
前町会長がこころよく葬儀委員長をお引き受けくださり、
いつもながらですが町会役員総出のお手伝いを頂きました。
大勢の方々にご会葬賜りましたことを
誌面をお借りしてあらためて厚く御礼申し上げます。


 ところで七月七日の明け方には会館の火災報知器が鳴動しました。
大きなベル音にもかかわらず、
会館近くの役員さんに教えてもらって気付いた次第です。
警報ベルを止めて、火災ではないことを確認してから
業者を呼び調査してもらいました。
夜通しの雷雨で感知器が誤作動したと思われるとのことでした。
緊急事態は早朝であろうと深夜であろうと待ったなしですから
お気遣いなくご一報ください。


 早紙面が尽きました。この記事が読まれる頃は、
子供会の夜店大会が成功裏で終わっていることでしょう。
次は盆踊り大会です。
踊りの練習日も用意しましたので、大勢で盛り上げていただきたいと思います。





平成24年05月(2012.05)
町会長就任のご挨拶
 この度、町会長に就任いたしましたXXでございます。
二期四年を如才なく全うされましたXX前町会長の足下にも及ばぬ未熟者ですが、
引き続きご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

 思えば数年前の誕生日に喜び勇んで職を離れ、
以後は趣味と家庭サービスの合間に、わずかな地域貢献でお茶を濁そうと、
少々不真面目な誓いを立てましたが、
図らずも町会長職を引き受ける破目となりました。
どちらかといえば裏方、事務方が似合う私で、
町会の総務部長兼庶務係を既に六年間経験させていただいております。

 
私は杉本町が好きで、あまり町の外には関心がないのですが、
町会長ともなりますと連合町会の仕事が多くなるようです。
区役所や警察署、その他各種団体とのパイプ役を務めることになります。
杉本町以外の仕事に深く入りこまぬよう距離を置きながらお勤めとしたいものです。


 庶務の立場から見た杉本町会は役員さん、班長さん、加うるに町会員の皆様も
ボランティア精神に溢れていて大変有難いものでした。
何の督促もせずに募金が期日内に集まったうれしい感激もありました。

 先日の二十四年度発足総会では、他町と比べて我が杉本町のすぐれている点を
思いつきで五つ数え上げてみました。

@防犯担当者の長年の努力で他町に比べて街灯数が多く、
 文字通り明るい町であること。
A近隣他町にはない町内放送設備があること。
B隔月発行の町内広報誌「杉本だより」が三十年近く続いていること。
C春の日赤社資募金や、秋の赤い羽根募金が他町比べて多額であること。
D不正が起りにくい相互牽制型会計システムを実行していること。
Dは庶務と会計の我田引水ですが、他にも自慢できるものがあるかもしれませんね。

 一方では町会運営そのものが古いと思っていらっしゃる方も多いようです。
役員の顔ぶれが変わらず、高齢化が引き続き進んでいます。
せっかく四年前に大幅な若返りを図ったものの次なる高齢役員が増えつつあります。
高齢が悪いのではなく、ゆっくり老後を過ごしていただきたいからです。
新しい方の参加が見込まれれば、役員定年制も簡単です。
また、役員が地元の人間に片寄り過ぎているのも気になるところです。

 私は昭和二十年十月、つまり戦後生まれで、若手という意識がありますが、
古いもののすべてを否定する気はまったくありません。
次のもっと若い世代までのつなぎのつもりで、
杉本町を温故知新の精神で運営したいと考えております。

 最後に小さな悩み事を書いておきます。
今後最低でも二年間、二ヵ月毎に杉本だよりの巻頭を私の駄文が飾る(?)ことになります。
前会長のように多彩、多感ではありませんので題材が見つからないだろうとの思いが強く、
悩みの種となりつつあります。
三十年近く続いている杉本町の広報誌に相応しいものが書ける自信はありませんので、
ない知恵を絞るつらい日々となります。
どうかお手柔らかにお付き合いくださいますようお願い申し上げます。





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